調和を希求する自分

幼い子供のころから、 いつも求めていたもの、 それは、調和である。 家族の中で、 不調和があると、 不安になる。自分が 何とかしようとしてしまうが、 何もできない自分が歯がゆい。 家族が調和している時は、 心地良い。だから、 両親が喜ぶ顔見たさで、 頑張ってきたんだ。 だから、 自分のふがいなさで、 親が不安になっていたり、 悲しんでいると、 罪悪感を感じるんだ。 もっとちゃんと 頑張らなくっちゃ ダメなんだ。 家族の笑顔のために、 家族の調和のために、 やるだけやってきたんだ。 でも、そんなふうに 生きてきても、 やっぱり親の顔は曇るんだ。 いつの間にか、 自分の人生の評価が 親の笑顔になっていたんだ。 他人の感情は コントロールできないのに、 それに一喜一憂していたから、 いつも心が不安だったんだ。 震えていたんだ。 調和を希求する人は、 自分の荒れ狂った 心の海を鎮める。 この一点に尽きるんだ。 親や兄弟姉妹の顔色なんて 気にするなかれ。 まずは、自分の顔色を、 震えてぶるぶるしている心を 穏やかにすることなんだ。 調和を希求する人の心は、 概して、不安定で 落ち着きのないものである。 だからこそ、 正反対の調和を求めている。 ただただそれだけなんだ。

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撲滅という考え方

いじめを撲滅する。 とか、差別を撤廃するとか、 児童虐待を撲滅する。 撲滅するという 考え方にくみしない。 というのは、 いじめや差別を 悪としてレッテルをはり、 その撲滅に意識を 向けている段階で、 それらは存在し続けるからだ。 そこに焦点を当てることで、 決して無くならないからだ。 本質を激しく逸脱する 考え方だからである。 この世の中に存在するのは、 いじめや差別を自分が 受け入れるか 受け入れないか? この二つの態度である。 いじめられる体験を通して、 自分の中にある 同種の弱さに気づき、 それを受け入れる。 いじめを通して、 自分に気づき、 より優しくかつ 強い人間になる。 そんな人がいる。 他方、いじめを悪として、 決して受け入れることができず、 被害的な態度に終始し、 それを、トラウマとする人がいる。 自分の中にある弱さを 見ようとしないため、 自分の中にある恐れは、 ますます増大してしまい、 また同じ経験を繰り返すんだ。 受け入れることが できるか否かの差は、 結局は、家族の絆の強さに かかっている。 つまりは、こういうことなんだ。

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巡りあい

この人とならば、 幸せになれる。 とか、この人とならば、 相性ばっちりだとか。 そんな関係じゃない。 たとえ地獄に落ちると 忠告されても、 かまわない。 この人とならば、一緒に 地獄に落ちても本望だ。 いっそ地獄の底まで見てやる。 たとえ、地獄の底に 這いつくばっても、 そこから、必ず 這い上がってやる。 そんな気概ある関係なんだ。 人生で、こんな人に巡りあえたら やっぱり最高だ。

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